8月
8/1

パチンコを打つ予定がまったくないので、サイトをどうしようかと考えているが、パチンコと関係ない内容を
綴っていても趣旨に反するし、回想になるかなと。

今日パソコンを起動したら昨日何ともなかったのに(?)、いきなりスパイウェア80個以上、ウィルス2個が見つかり、削除も何故かできなかったりで大変だった。

アリアスの不振でもう2度と見ることはないと思っていたディロンが1軍に。今日も守備でさりげなくミスをやらかすなどネガティブな感じ。だが彼はしばらく使わないと真価を発揮しないと思っている。1番で数多くの打席に立たせることが必要だと思っている。

とりあえず今月は出禁話でもするか、の予定。
8/2

パチンコを打たなくなった、と言ってしまうのは尚早かもしれないが、とにかく打たなくなったのは新しい環境になったからに他ならないのだが、ふとある話を思い出した。

何故自分がこのような境遇なのか判らない。とはいうものの思い当たらないことが無いわけでもない。
モラトリアムであった時、私は努めて人との交わりを避けた。それは交わりのない環境に身を投じたという事と同じである。人は私を尊大だといった。しかしそれは羞恥心に近いものである事を人は知らなかった。勿論、私に自尊心がなかったとは云わない。しかしそれは臆病な自尊心というべきものであった。

私は事を成そうと思いながら、進んで動く事もせず、求めて人と交わり切磋琢磨に努める事をしなかった。また、私は俗物の間に伍することも潔しとしなかった。

自分が珠でないことを恐れるが故に磨く事をしなかった。反面、自分が珠である事を心のどこかで信じるが故に瓦に伍する事もできなかった。

今思えば、私は持っていたかばかりの才能を空費してしまった訳だ。人生は何事をもさぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短いなどと口先ばかりの警句をしながら、事実は、才能の不足を暴露するかも知れないとの卑怯危惧と、刻苦を厭う怠惰とが私のすべてだったのだ。私よりも遥かに乏しい才能でありながら、それを専一に磨いたがために、大成した者が幾らでもいるのだ。

ただ、李徴と異なるのは私はまだ虎、即ち内面に飼っている猛獣に変えられていないということだ。
8/8

ネタはあったが、打つ気が起こらず。パチンコなんかに時間を割きたくないという思いも強くあった。

今日もし打っていたら、暇をみつけてはチョロチョロとする流れになりそうだったが打たなかったのでしばらく打たないだろう。
8/13

8月、12月はパチンコ屋のノルマも上がる月。打たないのが賢明。盆でも探せば打てる店があるという人もいるが、これだけ中小規模店が潰れて大手チェーンばかりになってくると難しいだろう。

回らないだけでなく、出玉削りも酷くなるのがこの時期の特徴。大手だとスルーもいつも以上に潰れます。私の地域には盆営業をしない店はないので打てません。盆に特に締めない店はあるにはあるが、元々の営業が論外なので盆締めをする必要がないだけなのである。

出禁話は最近更新していない体験談の方にする予定。

それにしても最近は自宅からインターネット中継で墓参りができるなんてビジネスもあるようです。
もうなんでもありだなあ。
8/16

徒然に新聞のテレビ欄を見遣ると、日本昔話の内容が「河童の雨乞い」と「猿神退治」になっていた。
「猿神」といえば白羽の矢。信州信濃のはやたろうさんが生贄を求める猿神を退治する話である。
これは見逃せないと見ていたら、ふと思った。犬猿の仲という言葉はもしやこの話が源なのかと。

そんな事を考えているとエンディングになり、次回の予告が…。

次回のタイトルを見て私は驚愕した。なんと「おいてけ堀」と「八郎潟の八郎」である。
「おいてけ堀」といえば本所七不思議の一つ。第三期鬼太郎の最終回(地獄変ではない)が確か七不思議で「足洗い屋敷」なんかと出てきていた記憶があるようなないような。

第三期鬼太郎といえば京極夏彦先生も絶賛の作品。この機会に是非!!と普通のサイトならアフィリエイトモード炸裂なのだろうが、このサイトはアフィリエイトサイトではないのでアマゾンにリンクを貼ったりはしません。

来週も見逃せない…、と勝負記録のコンテンツに相応しくない内容を書き綴ってみた。

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